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寓意画・図像学

1 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/15(金) 01:19
に、明るい人いませんかー?

2 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/15(金) 01:38
明るいちゅうほど明るくないけど、興味零でもないですわ。
この分野で良い参考書ってどんなのがあるんだろう。
ひとまず私は若桑みどり女史の著作に一票。

3 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/15(金) 11:14
図蔵画って何?

4 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/15(金) 14:48
>3
「図蔵画」…。それは、図画の保管を目的として建てられた蔵を描いたもの…かもしれない。

5 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/15(金) 17:37
>4
ちょっと2chらしい・・

6 :それは、 :2000/09/17(日) 04:01
イコノロジイ・・・新種のキノコらしい。(F・I)

7 :goatsong :2000/09/17(日) 18:48
図像学とは直接関係ないが、最近の軽薄な「絵画を読む」
傾向には呆れる。以前は極端に「絵画を見」ていたが、
新たな視点が輸入されれば、すぐ極端に傾く。流行りものに
すぐ感化される人間が多すぎ。



8 :空耳 :2000/09/17(日) 22:48
今日レンブラント展見に行ったら
教育の寓意、という作品があって
いまいちよくわかりませんでした。
寓意は難しい・・・

9 :斜視 :2000/09/18(月) 01:40
>7 goatsongさん
>最近の軽薄な「絵画を読む」傾向

偽イコノロジーみたいなやつですね。
でも入り口としてはいいんじゃないでしょうか。
基礎的な知識も増えるし、なにより気楽です。
って自分がそうだったので自己弁護に近いですが。

10 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/18(月) 02:02
>>6
かなり2chらしい・・

11 :さくら :2000/09/18(月) 13:19
寓意画の変遷で卒論を書いた・・・。

12 :goatsong :2000/09/18(月) 15:04
>斜視氏

それもあるんだけど、私が7で言おうとしたのは、
史学系の人間が安易に絵画なり、彫刻なりを歴史史料にすること。
その方法論が素人でも突っ込めるようなお粗末さ。

彼らは、絵に描かれたものをそのまま当時の風俗として
考えるでしょ?だけど、芸術ってのは常に虚構であって、
単なる事物の再現じゃない。この程度の認識さえ、もってない。

ところで、最近の図像学的な側面ばかり留意する本やTV番組も
気になるなぁ。象徴や寓意がわかれば、その絵が理解できたって
ことじゃないし。それはシニフィエがわかっただけ。
それだったら、絵画である必要はないでしょ。
構図はどうであるのか、色彩はどうなのか。
(テレ東の「美の巨人」はここら辺が全然わかってない)


13 :空耳 :2000/09/18(月) 16:55
美の巨人は特に図像学には触れてはいないと思うのですが。
時折触れているのかもしれないけど。
多分絵が描かれた時のエピソードを紹介しているだけなんじゃ?
例えばダリがあの絵を描いたのは半分溶けたチーズを
見たから、とか。
そういうエピソードを楽しむ番組なのでは?
だから、あれはあれでおもしろいと私は思います。
時代よりも画家個人に焦点をあてているし。

でも確かに図像学を知っただけで
わかった気になっているというのは同感です。
私は何も知らない状態で感動したとき以上に
その絵を深く理解できるとは思えませんから。
図像学というのはその時の感動を読み解く
ただのツールにすぎないと思います。

美術史学の話は・・・
よくわからないけど、
その方法論に隙があるにせよ、
みんな自分がその絵に夢中になった初期衝動を
読み解きたい為に色々やってんだろうなーとは思います
ま、問題アリの教授、いっぱい居そうですけどね・・・

14 :さくら :2000/09/18(月) 18:28
日本の美術史家は、
面白がってすぐ図像学に飛びつく、と
西洋美術史の先生が呆れていました。

15 :おっ、出ましたね。 :2000/09/19(火) 00:48
アンチ「巨人」。(I・F@阪神ぐぁんばれ)

16 ::2000/09/19(火) 02:45
「絵画を読む」傾向の過度な流行、というのと関係があるのかどうか
よくわかりませんが…近頃は説明過剰な展覧会が多くなったような
気がします。「この絵の中のなんたらかんたらは、●●を象徴している」
とかいう解説が絵の横のキャプションについてたりして。
後から読むカタログに解説が載るのはともかく、最初に絵に向き合う時に
こういう他者の説明が間に入ってしまうっていうのはどうかと思うなあ。
(特に古典絵画ならまだしも、近代作家の展覧会ではこういうのが邪魔に
感じられることがしばしばです)

映画とかでも、すぐ「〜を読み解く」とかいう方へ持っていく風潮が
近頃はあるような。

でも、個人的には理屈でわかる事が面白いのも事実です(苦笑)。
感覚的な感動っていうのは、共有が難しいと思う…。
他の人が「凄い」て言う絵がなんで凄いのかわかんなかったりして。

17 :斜視 :2000/09/19(火) 12:20
goatsongさん
>史学系の人間が安易に絵画なり、彫刻なりを歴史史料にすること。
確かに当時の風俗を再現したような作品もあるので(ロレンツェッティの作品とか)
視覚資料としては最適なんでしょうね。ただ、
>芸術ってのは常に虚構であって、単なる事物の再現じゃない。
>この程度の認識さえ、もってない。
・・ほんとですか。

キャプション問題に関して
上野の国立西洋美術館の常設展示がおもしろいことをやっていると聞いたんですけど
どなたか御存じないでしょうか。詩と絵のコラボレーションもしくは詩は絵の如く、
とでも言える企画のようです。

話をもとに戻して、
おもしろ似非イコノロジー普及の第一人者荒俣宏氏に拍手。


18 :goatsong :2000/09/20(水) 10:28
>羊氏

情報は多いにこしたことはないけど、キャプションの前に
人がたかるので(しかも絵を見てない)ちょっと嫌。

>斜視氏
>・・ほんとですか

ほんとだって!最近読んだのでは、ある史学者が日の丸の起源を
追い求めて土佐派の絵をそのまま、写真(実は写真もまた
虚構なのだが)のように扱ってた。



19 :空耳 :2000/09/20(水) 22:23
何か過去のしるしで虚構じゃないものなんてあるのかな?
絶対に人の主観は入ってきてしまうし。
ただ、それもある種の事実でもあるんですよね・・・
その人にとっては事実なわけだから
そうなると事実とは何かも考えなくちゃいけないんだろな
難しい話だ

20 :goatsong :2000/09/21(木) 00:19
まあ、歴史も虚構だしね(笑)。

21 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/21(木) 03:26
そもそも客観性なんてものは、存在しないよね。
あえて言えば、全人類の主観の総体/人数ってとこ?


22 :斜視 :2000/09/21(木) 13:22
歴史の虚構性という問題をのりこえるために、記憶(ムネモシュネ)が論じら
れているのでしょうか。一年前ぐらいに西洋美術館でやっていたワールブルグ
の展覧会で、「記憶」が問題になっていた気がします。イコノロジーは割と狭
い範囲の中での方法なので、ワールブルグの考え方をさらに歴史という捉えか
たの中で応用させようとしたのが、「記憶」という考え方なのかもしれません。
うーん、まちがったこと言う前にル・ゴフでも読んでお勉強してきます。



23 :学歴っておいしい? :2000/09/21(木) 13:38
http://member.nifty.ne.jp/koryo-photo/

24 :goatsong :2000/09/21(木) 14:55
>21
認識論の泥沼です。


25 :goatsong :2000/09/23(土) 01:52
>斜視氏

方法論に弱い私は、レスするとボロがでそうなので、
勉強し直してきます。


26 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/23(土) 02:45
てゆか、方法の問題だと思います。

27 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/09/28(木) 14:54
日本には、西洋みたいな寓意画ってあるんですか?
例えば「五感」のような、擬人像がどやどやいるやつとか。

28 :goatsong :2000/09/28(木) 20:00
>「五感」の寓意は知ってるけど、擬人像は寡聞にして、
知らないなぁ。そういえば、ラファエル前派の展覧会で
見た気がするけど。

日本でもそれに近いものは、平安期あたりの密教美術
ではあるんじゃないかな?四天王が「四気質」と対応
してるって説もあるし。

最近では、従来、極度に感覚的な美術と考えられて来た
江戸美術の象徴の問題とかも出てきてるでしょ?
「なまず絵」とかもそうなのかなぁ。


29 :さくら :2000/09/29(金) 18:16
goatsongさん、
西洋の四気質が四天王と対応しているという
話があるんですか。
興味深いですねー。誰が何なんだろう。

それと『別尊雑記』ってありますけど、
これは西洋で言う‘Iconologia’のようなものなんですか?
全然違ってたりして・・・。

30 :goatsong :2000/09/30(土) 19:53
えーと、その論文を読んでないので、詳しくは
わからないんだけど、多分、次のようなもの。

多血質→広目天
胆汁質→増長天
黒胆汁質(憂鬱質)→多聞天
粘液質→持国天

これらの天王の造形表現には、ギリシアの四性論の影響
とも思われるものが見られるらしい。ただし、今日よく見る
四気質の図像は、西欧の中世期にできたもののようだから、
これらとは無関係でしょう。
(四天王の図像の成立年代は知らないけど、すでに唐の時代
に見られるのだから、西欧中世のそれよりはるかに古いと
思われる。アラビア経由でインドか中国に入ったのかな?)

別尊雑記とイコノロギアの問題については、長く
なりそうなので、ちょっと待ってください。


31 :さくら :2000/10/02(月) 15:32
goatsongさん、どうもありがとうございます。
多聞天って、メランコリーなんですねえ。

32 :goatsong :2000/10/07(土) 06:46
>さくら氏

予想以上に複雑だったのでパスさせてください。あー、難しい。


33 :さくら :2000/10/07(土) 15:30
goatsongさん、すみませんでした。
ただ、学生時代に兜跋毘沙門天でレポートを書いた時、
たまたま『別尊雑記』を目にしまして、
「これって仏像の図像集なのかなあ」と思ったもんですから。
その時丁度、卒論のために`Iconologia'もよく見てましたんで、
『別尊雑記』は`iconologia'と同じような役割のものなのかなあ、
と考えたりしたんです。

34 :goatsong :2000/10/07(土) 16:47
>どっちも図像集だけど、成立した背景が微妙に違うみたいです。

35 :さくら :2000/10/08(日) 13:37
日本では、西洋のように抽象概念を寓意擬人像で表現するという
習慣を聞いた事がありませんね。


36 :goatsong :2000/10/10(火) 21:02
>私の知る限りでも江戸以前にはないです。正確に言えば、
1,2点あるけどね。


37 :わたしはダリ?名無しさん? :2000/10/10(火) 21:34
>>36

その1、2点をぜひ紹介していただけませんか?

38 :さくら :2000/10/11(水) 21:58
授業では黒田清輝の《智・感・情》が、
寓意擬人像を描いた日本初の作品だと教わりました。
それ以前の日本の作品でも「○○が描かれていたら△△を表す」
というものがあったとは聞いていましたが、
黒田以前に寓意擬人像を描いた作品があるんですか。

39 :goatsong :2000/10/20(金) 16:07
>さくら氏

レスに気づかなかったです。申し訳ない。

えーと、私の知っている江戸以前の擬人像というのは、
実は西洋絵画の模写みたいなものです(笑)。西洋の文脈でいう、
抽象観念の擬人化みたいなものは、習慣としては、
日本にはないと思う。(西欧美術の図像体系はもともと、
ギリシア、東方起源なわけだから、事態はもっと複雑なのかも)

ただ、西洋的な思考から外れるなら、日本にもあるよ。
インド、中国から来たものを含めて、特定の仏なり、観音
なりが、ある抽象的観念の表象であったり、何らかの
現世的利益の化身と考えられてたりするでしょ?

「智、感、情」については、異論があり、私の先生なんかは
寓意とは言えないと仰ってましたが。黒田には、明らかに
そういう意図があったとは思うけど、私も「観念の擬人化」
前の、ナイーブな試みと思ってたりします。



40 :空耳 :2000/10/21(土) 01:22
図像学ということで、
ちょっと曼荼羅などどうでしょうか。
今授業で曼荼羅やってるんですが、
はっきりいって頭われそうです。
図像学の嵐、嵐、嵐です。
前の方で日本美術はすぐ図像学に飛びつく、とありましたが
もうちょっとくわしくお話聞きたいです。
一時間以上頭の割れそうな曼荼羅図像学やったあと
スライドを見るんですが、
もうひとつずつ噛み砕くというよりも、
ただ呆然と曼荼羅を眺めるだけです。
数学的な美というか、それは全く宇宙の美につながるような気がします。
金剛頂経を全て曼荼羅化したら縦横何十メートル必要かとか空想してると
あっというまに置いてかれます。

41 :SZ :2000/10/21(土) 08:55
ちょっと質問
黒田清輝のなんとかってブリジストン美術館にあるやつですか?
なんかリーパの寓意像みたいとおもったよ。

42 :goatsong :2000/10/21(土) 18:46
>SZ氏

黒田記念館だよ。↓
http://www.tobunken.go.jp/kuroda/gallery/japanese/tikanjo01.html

>空耳氏

曼荼羅は象徴主義の中の象徴主義だもんね。結局、
日本人はああいうものは理解できなかったわけです。
だから垂迹曼荼羅みたいな、およそ曼荼羅とはいえない
曼荼羅が生まれてきたわけです。↓こういうのね。

http://www.narahaku.go.jp/meihin/kaiga/065.html
http://www.narahaku.go.jp/meihin/kaiga/067.html
http://www.narahaku.go.jp/meihin/kaiga/068.html

43 :空耳 :2000/10/22(日) 00:46
ああ!これ授業で出てきましたよ。こんなのも一応曼荼羅なんですって。
関係ないのですが、宇宙がとても数学的な存在だとして、(科学において)
それを知らないであったにもかかわらず
とても数学的な世界観を持っていたのはとても驚異的です。
世界を対称なものにする為にわざわざ教義に書かれていない事も
曼荼羅では絵にされていたりするし。
曼荼羅は密教のものですが発祥の地はどこなのでしょう。チベット?
実際に密教は日本に根付いているし深く信仰されているけど、
でも密教の妖しい土臭さはどこか大陸的で
日本の風土にそぐわない気がしてなりませんが。

西洋美術に比べて日本美術の方が図像学に走りやすいというのは
具体的にどういうことなのか知りたいのですが。
よろしかったら教えて下さい。

44 :空耳 :2000/10/22(日) 01:13
うわあ、ひどい文章書いちゃった。
読みにくい・・・

45 :さくら :2000/10/22(日) 11:16
しばらく見ないうちにこんなにレスが・・・。

>goatsongさん
 よく分かりました。ありがとうございます。
 やっぱりああいう寓意擬人像(仏像などを除いた)というのは、
 西洋独自のものなんですね。
 卒論書くとき、邦書の研究資料がなくて苦労したんですよー。
 単に探し方がまずかっただけかもしれませんが。

46 :SZ :2000/10/23(月) 08:46
それじゃあブリヂストン美術館のはなんだったんだろー?
たしかかぼちゃかなにか手に持ってて持物みたいだった。
だれか教えてください

47 :goatsong :2000/10/24(火) 01:17
微妙に私の専門分野にシンクロし始めて、ちょっとドキドキ。

48 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/10/24(火) 20:20
>>47
アレゴリーですか?専門分野って
それともシンボルか?

49 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/10/24(火) 22:37
興味深々あげ

50 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/10/24(火) 22:40
goatsongさんの専門分野とは?
(うーんやっぱり研究者だったか)

51 :goatsong:2000/10/25(水) 01:50
別に研究者って程のもんじゃないよ。西欧の宇宙論が十八番
なので、空耳氏の書き込みにドキドキしたの

>空耳氏

もちろん曼荼羅はインド発祥。インドからチベット、
中国に渡り、中国から日本へ。(現在生き残ってる
のは日本とチベットだけ)

別に幾何学的な宇宙観は驚くべきことでもなくって、
幾何学的なものってのは、常に神秘主義と結びつく
ものなのです。(モンドリアンスレッドも見てね)

↓これは我が国の怪し〜い宗教、立川流スレッド。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=966011261


52 :空耳:2000/10/25(水) 22:07
ありがとうございます。
参考になりました。
左道仏教とはまた別のものなんですね。
伝わらなくても結局こういうものが生まれてくるって言うことは
日本はもともとこういうのが肌に合うのかなあ。
ふーん・・・
京極夏彦でも読んでみよう。
モンドリアンのところも読んで参りました。
数学もまた芸術的な存在なんですね。
中国の曼荼羅残ってないんだ。日本にあるもののみということですか。
つくづく日本の昔の人に感謝したくなります。

ところでその西欧の宇宙論ってすごく興味深いのですが、
どのようなものを題材にとりあげているのでしょうか?
さしつかえなかったらちょっと教えて欲しいです。

53 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/11/17(金) 02:31
落ちてたのであげときました

54 :goatsong:2000/11/17(金) 06:16
>空耳氏

あ、レス付いてた。後で書き込みます。



55 :タオ:2000/11/19(日) 08:11
ある意味日本の禅仏教の美術は、寓意画・図像学 ともとれなくもないですよね。
枯山水、茶道、禅仏教の建築。アレゴリーと言うほど明確ではないですが
象徴的な形態、マテリアル等意図してデザインし鑑賞者の自由な見方を取り込む
ことによって成り立つ。寓意、図像を超えそれを昇華させる。
西欧の寓意、図像の持つ世界感とは少し違いますが。

56 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/11/20(月) 08:10
>>18
>土佐派の絵をそのまま、写真(実は写真もまた虚構なのだが)のように扱ってた。

上手く言えないけれど、写真は意識の反映であるからこそ写真たりうるのだ
……と思っているので、goatsongさんの意見をもっと聞きたい。


57 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/11/27(月) 00:30
あげ

58 :goatsong:2000/11/29(水) 19:19
>>56

ふーむ、長くなりそうなので、ちょっと待って。そう言えば、
映像論の人が「映像には、視点がある」みたいなことを
言っていた。最近のCG映像にはないらしい。

>>52

えーと、西洋では歴史上、何度も宇宙像が変わっているわけ
だけど、その変革時において、思想や芸術がどんな様相を
呈しているのか、みたいなことです。


59 :緊急でどうしても知りたい事がありますです。:2000/11/29(水) 21:26
いきなりすいません。
「スレ立てすぎ」の由、ここにて質問させていただきます。
シャガールの版画なんですが、私の記憶が確かならば、「天使の隣下」
という版画があるはずなんです。
夜の街を降りていく天使の版画絵です。
エッフェル塔も描いてあったかもしれませんが、定かではありません。
一生懸命色々探しても見つかりません。
ぴんと来る方、教えてくれませんか?
お願いします。どうぞ



60 :goatsong:2000/11/29(水) 21:31
↑いくら緊急とはいえ、こういうやり方はどうかと思う。


61 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/11/29(水) 22:03
「降下する天使」ならあるよ。油彩だけど。
http://sunsite.dk/cgfa/chagall/p-chagal29.htm


62 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/11/29(水) 22:09
ありがとうございます。
しかし違います。
あぁ・・・
>60さんご迷惑かけてすいませんです。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/29(水) 22:14
これ面白いよ
>>http://www13.u-page.so-net.ne.jp/qa3/m_isogai/public_html/index.html

64 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/11/29(水) 22:23
>>59
マルチとかいって荒らしの一種と思われるぞ。


65 :goatsong:2000/12/01(金) 22:44
>>56

全くその通りで、そもそも認識論的に言えば「客観」
なんてものは存在しないんだよね。

事物は観察者の存在があって、始めて実在するわけで
(例えば、誰もいないところに石があっても、誰も
知らないので、その石は存在しない)観察者は事物の
存在を、感覚器官を通して、脳内で、始めて認識する。
とすれば、事物の存在とは、事物の実在とは無関係に、
自己の脳内で再構成(創出)された「虚構」と考えても、
間違いではない。(よく、ある出来事が夢であったのか、
現実であったのか、わからなくなる時があるが、この
意味においては、現実と虚構の区別をナンセンスなのかも)

まあ、これから言えば、あらゆるものが自己の虚構と考え
られるわけで、これがいわゆる認識論の泥沼でしょう。


66 :goatsong:2000/12/01(金) 23:08
もうちょっと、層をさげれば、写真は、実際には色んな色
の粒粒に過ぎず、それを3次元世界の再現として「見える」
のは、まさに脳内で、再構成されている証拠なわけだけど。

さらに層を下げれば、より現実的な問題になるのかも。写真
を含めた映像は、(時間的、空間的)連続性を持つ三次元
世界の、視覚的に還元され、切り離された「断片」に過ぎない
わけで、これを虚構といわずしてなんというのか、という
ことになる。

例えば、顔のアップの写真があるとする。実際には、まず、
空間的には、その下には首、胴、足があるだろうし、時間的、
歴史的には、その写真が取られる以前のモデルが準備して
いる時間があるだろうし、モデル自身の人生もあるだろう。
(撮られた後、モデルの去ったその現場というのもある
だろう)

そういうのを、すべて切り捨てたのが写真なわけで、(より
正確に言えば、我々はその切り離された部分を、想像で
補ってるわけだけど。まさか、顔のアップを見て、首上しか
ないと思う人間はいまい)この現実世界の恣意的な捨象と
抽象を「虚構」と呼んでも差し支えはないと思う。


67 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:2000/12/10(日) 21:29
デューラーのメランコリア・Tなんか解釈がいかようにもできてしまう。
答えなんてでない類のものだから、説得力のある説明すればそれでOK。

68 :goatsong:2000/12/11(月) 19:21
>>67

その力強い造形が、もし寓意だとか、象徴主義的な思考法を
背景に、その中から、生まれてきたものであったら?無論、
作者自身の解釈が唯一の解釈ではないけれど、「美しいもの
は、人を沈黙に誘うが、それ以上に美しいものが生み出した
精神の考察に誘う」のでは?

まあ、デューラーの場合、象徴主義が廃れていった後の時代
の人だったから、あまり鑑賞に必要なものとは思われない
かも知れないが(失われていったからこそ、16世紀に図像集
が盛んに編纂された)中世美術なんかは、そういう約束事を
知らずしては、なかなかできなかったりする。


69 :goatsong:2000/12/11(月) 19:33
>>67

あ、間違えた。象徴なんてどうでもいい、ってことでは
ないのね。すいません。

ついでながら書いておくと、「芸術は感性で理解できる」
と言って、何も勉強しようとしない「芸術愛好家」という
のは、結局、中途半端な情熱しか持っていないと思う。
何かを愛すれば、それについてより深く知ろうとする欲求
があるはず。


70 :goatsong:2000/12/11(月) 19:37
68の四行目
美しいものが→美しいものを



71 :67:2000/12/12(火) 16:13
図像を手掛かりにデューラーの言おうとしたことを、
読もうってことです。
数年前にメランコリア・Tの多面体のことを、
永遠を表しているとものだと解釈し、
描いた当時思考することさえ禁じられていた永遠についてデューラーが
思いを巡らせていた、といっていた人がいましたが、
そんな解釈の自由さ、象徴の読み方について書き込もうとしたまでです。

72 :67:2000/12/13(水) 22:02
すいません。71の永遠は無限の誤りです。

73 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/13(水) 22:47
>67
「無限」について思考することが禁じられてるってのは、
どういう意味なんでしょう。

74 :goatsong:2000/12/14(木) 03:10
あの多面体には、(というか、この版画に描かれている諸物
には)確かに色んな解釈があるよね。最も知られているのは、
円が完全を示すのに対して、不完全な状態を示すっていうの
だと思ったけど

私も>>73は気になるなぁ。まあ、無限という概念は地動説と
関係があるから、当時はもめたのかも。(デューラーはルター
派のくせに、大仰な宗教画描いてるのは、なぜ?)


75 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/14(木) 12:31
>>69
一つの映画や小説に影響されて人生が変わる人だって世の中にはいる。
でもそういう人が必ずしも映画や文学の専門知識を持ってるわけじゃない。
その場合に人生まで変えてしまった作品に対するその人の想いを、
専門知識のあるなしだけで「愛がない」と切り捨てられるほど知識を持つ人って偉いの?
知識に対する愛と作品に対する愛を取り違えてるんじゃない?

76 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/14(木) 16:02
>>69
>何かを愛すれば、それについてより深く知ろうとする欲求
>があるはず。
愛し方なんて、それこそ人それぞれだと思うんだけど…。

77 :goatsong:2000/12/14(木) 19:55
74の訂正

円→球

まあ、どっちでもいいんだけど。中世の絵画に。円とか球体
などがよく出てくるんだけど、これは世界だとか、完全の
象徴です。ベリーニの絵にもあるけど、あれは何だろ?

>>75

「専門知識」とはいってないんだけど。何か愛するものが
あれば、それがどういう魂から生まれ出たのか、自ずと
探求するようにならない?そういうこと。もう一度、引用
するけど、「美しいもの は、人を沈黙に誘うが、それ以上
に美しいものが生み出した精神の考察に誘う」。


78 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/14(木) 20:36
>>77
「専門知識」と書いていようがいまいが同じじゃないの?
それに引用なんてしても意味がないんじゃないですか?
何の答えにもなってませんよ。

79 :goatsong:2000/12/14(木) 20:55
>>78

あなたは75を書いた人?ではないのなら、これはまず、
定義の問題だから、あなたと話してもしょうがないと
思うけど。同一人物なら、まずあなたの言う「専門知識」
の定義から説明してもらわないと話は始まらない。

>一つの映画や小説に影響されて人生が変わる人だって

幾つかの場合が想定されるので、具体例を。


80 :goatsong:2000/12/14(木) 21:00
>幾つかの場合が想定されるので、具体例を。

想像はできるけど、想像で現象を考えてはまずいと思う。
実際的な例によってしか、何とも言えない。(いわゆる
知的障害者の例はあるだろうが、私は彼等の精神構造を
しらないので、これも何とも言えない)


81 :78:2000/12/14(木) 21:01
>>79
違いますよ。
ただ客観的に見てあなたの議論は傲慢としか思えません。

82 :goatsong:2000/12/14(木) 21:08
>客観的

あなたの「主観」では?議論の際に「傲慢」を持ち出され
ても困るんだけど。


83 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/14(木) 21:15
なんか議論がずれてきた感じが・・・。

アレゴリーの話しようよー。
個人的には擬人像に興味アリ。

84 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/14(木) 21:16
>>82
>議論の際に傲慢を持ち出されても・・・

議論というのはいわゆる議論のことじゃなくて
この場合はあなたの態度や思想について言ってるんだけど?
言葉の使い方が変なら謝りますよ。
主観というならそれで結構。私が傲慢に感じたというだけの話。
どうでもいいですよもう。勝手な感想と思っといて下さい。

85 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/14(木) 21:26
スレ違い。
「美術やってる人は人を馬鹿にするスレ」でやって下さい。

86 :67:2000/12/14(木) 23:23
無限=神であって、有限な存在である人間が、
神の領域について思考することは傲慢である。
という中世の考え方がまだ生きていた時代で、
へたすれば火あぶりになるから、銅板画のなかにそれを隠して表現した。

そんな解釈をしていたと記憶しています。


87 :73:2000/12/15(金) 01:58
>67
なるほど。確かにドイツ・ゴシック末期の絵画・版画には、
人間的な表現を芽生えさせつつも、神の崇高さを強調する傾向が、
多く見うけられますもんね(M.ショーンガウアーなど)。
でも、同時期にイタリア(プラトン・アカデミー)で
起こっていた、古代思想の再興というムーヴメントは、
エジプトを含むオリエント、非キリスト教的なイメージをも、
新たに解釈しなおしていたんですよね。
たとえば、「ウロボロスの蛇」というイタリア・ルネサンスに
特徴的なイメージがありますが、そこに描かれている自らの尻尾を
噛む円状の蛇は、「宇宙」すなわち神を超えた深遠さを示しています。
そういった異教的思想をデューラーも、知人をとおして得ていました。
ただし、同時にこの時期は異教的思想とキリスト教神学を、
統合しようという動きも活発だったことですし、
16世紀、人文主義が盛んなニュルンベルクでの宗教的制約は、
さほど厳密ではなかったのではないでしょうか?
長文にてスミマセン。




88 :goatsong:2000/12/15(金) 03:32
>16世紀、人文主義が盛んなニュルンベルク

ふーむ、確かに、すでに15世紀の初頭には、ドイツの知識人
の間では、ルネサンスとの過渡的な思想が出ていたのだし、
キリスト教的な立場でも、人間を絶対者に向かおうとする
存在、みたいに捉える立場もあったわけだし・・・・・

でも、どうしてあんな不完全な形が「無限」なのだろう?


89 :67:2000/12/15(金) 22:48
>16世紀、人文主義が盛んなニュルンベルクでの宗教的制約
ここいらへん不勉強で良くわかんないです。

>どうしてあんな不完全な形が「無限」なのだろう?
多面体の中に同じ形の多面体を作ることができて、
さらにその多面体のなかに同じ形の多面体を作ることができて・・・
といった具合に、無限に同じ図形が作れるそうです。
よく分からない説明ですいません。
映像で見れば一発なんですが。。。

90 :73:2000/12/16(土) 03:13
>67
「メレンコリアΙ」の諸象徴が指示する意味内容については、
パノフスキー/ザクスル/クリバンスキー『土星とメランコリー』や、
イエイツ『魔術的ルネサンス』、ベーメ『メレンコリアΙ』などで
論じられてきましたよね。
「多面体」についてはパノフスキーの提示した、『「メレンコリアΙ」
は「憂鬱質」と「幾何学」の擬人像の図像学的伝統を踏襲している』
と関連付けて、「幾何学の特殊能力を表現するもの」と解釈して
いたように思います。もちろんこれが唯一の解釈とはいえません。
一つの見地に過ぎないでしょう。
「メレンコリアΙ」は『解釈の戦場(ベーメ)』でありつづけてきたし、
新見地は新しい裏付けとともに、続々と提示されてしかるべきです。
67さんが参考になさった資料、もし著者と題名がお分かりでしたら、
教えていただけるとウレシイのですが。

>goatsongさん
確かにデューラーはルターやメランヒトンと親しくしていただけあって、
ルターの思想に共感はしていましたが、必ずしもルター派信者だとは、
断定できないと思うんです。なにしろ、エラスムスとルターとの
宗教的態度の違いすら、わかっていなかったのですから。
ルター派の急進派、宗教芸術を否定する一派に対しては、
彼はかなり危機感を抱いていました。


91 :67:2000/12/16(土) 17:28
>73さん
新聞で読んだだけで参考資料はないです。
確か東京新聞でメレンコリア・T新解釈と紹介されていたと思います。
その新解釈を出した人が、創作活動をしている女性というのまでは
憶えているのですが、名前までは憶えてないです。
たいした情報でなくてごめんなさい。

92 :73:2000/12/17(日) 18:21
>67
情報ありがとうございます。
機会があったら、探してみますね。

93 :goatsong:2000/12/19(火) 00:45
私は今まで、イタリア美術を好むことは好むが、どうも
よそよそしい感じがして、しっくりとこず、逆にドイツ
美術に惹かれていたんだけど、今日、偶々読んだ、某評
論家の随筆を読んで、頭の霧が晴れた気がした。それに
よると、

ドイツの芸術は、ラテン文化のような節度を知らず、何
でも、極端に走る傾向がある。その偏重は時として、鑑
賞者の忍耐の限界を超える。そうであるからこそ、ドイツ
の最高の芸術は、純粋に「ドイツ的」なものではなく、
ラテン世界との折衷から生まれたものなのだ。デューラー、
モーツァルト(墺)、ゲーテ、ハイネ、ニーチェ。

そして、最後をこう締めくくる。「ドイツに関しては、
つまるところ、謎でないものはない。その政治も、芸術も、
あらゆる矛盾に満ち満ちた精神も」

何となく、デューラーとルター派の関係も納得できるし、
あの不気味にエロティックな画家、クラーナハのルター
との親交という驚くべき事実さえ、納得できる。


94 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/19(火) 13:14
ドイツの政治的な歴史上、絵画は

95 :黄色:2000/12/19(火) 16:58
かつて哲学板では「芸術論語ってる哲学本を教えてください。 」なるスレがあった。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=967609635&ls=50
タイトルの羅列が多いのは、ある程度知っている人が見ると
失笑ものだろうけれど、もしかしたら掘り出し物もあるかも。

私は42から52、93から103は面白く読めました。
これは死にスレだから、誰か再興してみません?
残念ながら私には力不足なのです・・・・。
でもみんな哲学的言説に関わりたくないのかなー。・・・では

96 :黄色:2000/12/19(火) 18:02
ああ!「美学藝術学 」スレがあるやん!
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gallery&key=975992518&ls=50
しかも、ここの過去レス読んでみると
なんだか同時代的な考証がメインになってるようだし。
表象全般や、知覚そのものを取り扱ったりはしないの?

・・・・って、上のすれ読んでみたけれど、なにこれ!?無知すぎる・・・。
別スレで全く失礼だとは思うが、空耳さんを批判させてもらおう。
>美学とはあらゆる美について哲学する学問
>この美は必ずしも美術だけでなく、 映画、音楽、等々無限にひろがるっぽい
・・・ここで(というかこのスレのどこにも)プラトンの<真・善・美>にも
カントの<美的判断>にも触れてないって、どういうこと?
「哲学する」つったってなあ・・。大雑把すぎ。

結局、みなさんは当時の表象に関する方法論の話やら、
当時のキリスト教の対立とのかかわりくらいしか関係ないんですか?
はぁ・・・・、宗教画としての図像性にのみこだわるのだったら、
本格的に神学に取り組むべきだと思うんですけれどね。
(しかし「寓意画・図像学」だからこれでいいのかなー)
なんだか歴史性に重点が置かれ過ぎてるんじゃないかと思うんですよ。
でも、こんな不満をもつのは「現代美術的だ!」とか言われるのだろうか・・・・?  うーーん。

97 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/19(火) 18:15
>>96
goatsongがものすごくラブリーに思えるくらい
根性の腐ったやつに出会ってしまった。
この2人の質の差について哲学的に語れる。
・・・懲罰的に、でもいいな。

98 :黄色:2000/12/19(火) 18:38
>97
いや、goatsongは本当に親切だと思う。
「美術やってる人間って人を馬鹿にする」板での
責任感と誠実さのある態度には感銘すら受けたよ。
まさか嫌われてんの?  だとしたらひどい話だな。
しかし、そうか・・・私は「根性腐った」とまで言われたかー。
どの点か言ってみ。・・・と、とりあえず煽っておこう。
できれば内容の不備とか、「根本的にここ間違ってるんだよ!」
とか言われたほうがむしろ感謝するんだけどね。

「質」の差について懲罰敵に語る――へー、それで出てくるのが
ただの「お前は根性悪いんだよ!」だったら笑えるなあ。
いずれにしても「哲学的に」と「懲罰的に」が並べられるとは、
たいして「哲学的」でもないんだろうね・・・。


99 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/19(火) 19:09
>>98
煽りの必要なし。
では 侮蔑的 で。

「別スレで全く失礼だとは思うが」
    → 全く失礼だ
「批判させてもらおう」
    → 尊大甚だしい
「結局、みなさんは…しか関係ないんですか?」
    → … になにを入れようともポリティカリ インコレクト
       よくある我田引水型性急症
「取り組むべきだと思うんですけれどね。 」
    → 「べき」が過剰だと気付かない無神経さ

これほど凝縮された不快な特性を見ることはまれ。
自覚していないことを確認してさらに倍。

それを、こともあろうに「感謝したい」とは…

100 :黄色:2000/12/19(火) 19:32
うう・・。いや、内容面突っ込めよ、ということなんだが。
態度について語られても・・・。
たしかに「別スレ」頼まれてもいないのに「批判」は失礼だし、歓迎はされないだろう。
そんなもの書いたのは軽率すぎし、悪かったけれど、
しかし美術鑑賞板のどこにもそんなものがないのはどうかと思うぞ。

>「結局、みなさんは…しか関係ないんですか?」
>  → … になにを入れようともポリティカリ インコレクト よくある我田引水型性急症
に関しては説明ほしい。PCの意味くらいは知ってるけれど。

それでも、そもそもなぜ原理的なことには触れずに
どこでも歴史的事実に終始することから契機すら提起されないのは批判されないのだろう・・。
まあたしかに安易に「べき」と言っちゃいけなかったね。問題だった。
あと、すまん。前回の後段の文は明らかに言い過ぎだ。謝罪するよ。
しかし、前回のだけでは説得力弱すぎだろう? あれ自体ほとんど煽りじゃん。

101 :黄色:2000/12/19(火) 19:51
≫97
「上のやつは根性悪いやつだ。こいつを○○よりどんなに気に食わないかを語ろう」
というようなレスって、やはりただの煽りだと思う。
俺自身はgoatsongの態度は素晴らしいものだと思うけれど、
しかし態度のみの話になっても仕方ない。だいいちgoatsongの態度に甘えすぎだろう。
・・・・だが、たしかに96の三段目って、提案とか提起とかの態度じゃないな・・。

あと補足的に言い直すと、性急に特定の話題へ転換させるよう要求するのを、
「ポリティカル・インコレクト」でつなぐってどういうこと?
そうした行為自体は不快だろうし、失礼けどさ。
しかもPCという言い方でなにを「正しい」と批判(または擁護)してるのかが不明確。

前回と重複多くなってしまって申し訳ない。

102 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/19(火) 20:20

下げてやれよ

103 :102:2000/12/19(火) 20:20
上げてしまった ごめん

104 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/19(火) 20:35
>黄色
ごめんおれも言いすぎた。ああ、結構キマジメなヒトなんだね。
中味については拝聴するのみ。
ここがあまりにもステキな板なんで、黄色氏の中途半端な煽り口調と
過剰な自意識にカチンときただけ。
おっしゃるとおり、もちろんタダの煽りだ。コレ以上あれこれ言う
ほどのことは無い。貴重なスレを汚してスマソ

哲学的言説に関わりたくなくないよ?
ただ本当に面白いやりとりになるのは難しいと思うぞ
やるなら美学藝術学スレで話しをうまくフって見てはいかが?

105 :黄色:2000/12/19(火) 22:05
>97=99=104
うーん、こちらこそごめん。
はじめから失礼な物言いをしてしまったよ。
そもそも「論旨みだしてまで提案するくらいならスレ立てろ」
という妥当なツッコミもありうるわけだよね。
うむ、美学藝術学スレを復興するしかない!104さんナイスなアドヴァイスありがと。
・・・・67さん、73さん、goatsongさんの会話を中断させてしまいました。
申し訳ありません。では・・・俺は逝こう。

106 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/19(火) 23:16
fusizen na resu datta na
nani ga hajimaru no kana

107 :goatsong:2001/03/09(金) 00:41
http://www.symbols.com/

興味のある人は、どうぞ。


108 :月読:2001/03/09(金) 02:50
うっひょ〜ん。
曼陀羅ってさ、シャーマニズム的なものじゃないの?
ドラッグ無しでトリップに誘うようなそういう。
畏敬の念。彼岸のイメージ。

古い話題&浅学でスマソだが。

109 :月読:2001/03/11(日) 15:46
誰も答えないからなんか自分から話題を。

四国のお遍路の行程=曼荼羅となぞらえた随筆(かな?
http://www.transpersonal.co.jp/tamashii.html

110 :月読:2001/03/11(日) 16:01
>>107
興味深いです〜。
西洋の視覚的知覚が学べますね。
symbolにmeaningを追う作業も面白いもんですね。


111 :goatsong:2001/03/13(火) 01:02
>>108

私も新書を何冊か読んだ程度なので、詳しくは説明できない
けど、大乗仏教の(その周辺にある諸宗教のそれをも取り込
んだ)世界観の造形的表現、とでも言うのかな。単なる世界
の地図ではなく、思想と観念(例えば、悟りの階梯)をひっ
くるめたもの。澁澤は「宇宙像の幾何学的投影」と言ってい
るけど、簡にして要を得ていると思う。

月読氏のものは、完全にユング以来の人口に膾炙した曼荼羅
観でしょう。ここには仏教に詳しい人もいるから、その人達
に聞くのが一番。


112 :月読:2001/03/13(火) 02:02
>111
>単なる世界の地図ではなく、思想と観念(例えば、悟りの階梯)をひっくるめたもの。
>「宇宙像の幾何学的投影」

銀河や星雲の外的宇宙じゃなくて内的宇宙の造形ってことかな。
まあ科学以前のお話だからそんなこと言ってもしょうがないけど
要は心理的安定や宗教的篤信を誘うようなものってことかな。
               >もっと詳しい仏教系のかた〜

で、ユング以来の、、、ってことは
そういう 宗教的儀礼の忘我・恍惚(こうこつ)の状態(トランス)
を誘うものっていうのは心理学的後付けっていうこと?

113 :月読:2001/03/13(火) 02:35
仏教のようにある程度都市文明と重なった宗教には
原始宗教のようなシャーマニズム的なものは介在しないって
ことなのだろうか。

でも密教(密教系にも宗教、宗派によっては曼荼羅はあるよね?)
とかになるとそういうのもありそう、
とか思ってしまうのだが。その辺はどうか。

114 :お絵描き君:2001/03/13(火) 03:36
この世の理ってのを、図式化しようとすると
曼荼羅状になるような気がするな。
フラクタルな構造な。一見カオスだが秩序がある。

ユングの本は途中で投げ出したから良く知らんが、
精神分裂病の重症患者が描く絵というのは曼荼羅的
展開をするらしいな。

西洋的な宇宙観と違うってんで、こりゃ発見!といわん
ばかりに近代の神智学系神秘学は仏教に飛びついたみた
いだね。仏教やインド哲学にイカレる人間が多かった
みたいだが、俺は印哲はさっぱりなので良くわからん世
界だ。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/13(火) 05:39
>>115
フラクタルの意味間違えてるよ。
マンダラはどう見てもカオスに見えないし。


116 :お絵描き君:2001/03/13(火) 05:49
>>115
番号間違えてるよ。

曼荼羅と、精神分裂病患者のな絵が似てるんだよ。
で、その絵の構造がな、無限に広がっていく無秩序でいながら
秩序があるようなそんな様相だったんだよ。
そうだな。樹木の枝の分かれていく様とか、腸壁の構造とか
そんなもんだな。そういうのと共通してるなってな。
そういうのを形容してみたんだが変かな?

あとインターネット世界にも似たようなものを感じるな。

117 :月読:2001/03/13(火) 06:23
>>115
実際の「フラクタル」と「フラクタル造形」っていうのは
使い方とイメージが若干異なる気がするが。

曼荼羅はカオスちゃうだろ〜。
あのシンメトリックな構造がカオスか?
まああの仏さんの数を指したらカオスかもしれないけど、
その辺は言葉の妙かね。

>>116
>あとインターネット世界にも似たようなものを感じるな。

おモロイこと言った。
曼荼羅の中心は大日如来だそうだけど、大日如来はアメリカか?
ん〜。


118 :goatsong:2001/03/13(火) 23:39
ふーむ、どこから始めたらいいのだろう。ちょっと誤解が
多いような・・・・・

>>112
>外的宇宙じゃなくて内的宇宙の造形

恐らくその両方。(エリアーデによれば大乗は「反対対立の
一致」そのものらしいし)観想は大宇宙に繋がるわけだし。
(関係ないけど「両部」の対照的構造というのは空海以後?)


>ユング以来

私もユングの曼荼羅観は知らないが、聞いたところによると、
彼は精神病患者の描くイメージとチベットの曼荼羅にアナロ
ジーを認め、これを外的世界に拠らない無意識から来るもの
と考えたらしい。ユングはこのイメージに連なるものをみん
な曼荼羅と呼び、自身も絵を描いている。この辺りは心理学
板で聞いて。

これが、ことに60年代アメリカのカウンターカルチャーにお
いて、人口に膾炙し、世界観もへったくれもない、ただ緻密
でサイケデリックな絵が、みな「マンダラ」と呼ばれたわけ。
月読氏の「ドラッグ」だとか「トリップ」っていう発想もそ
こから来てる。


119 :goatsong:2001/03/13(火) 23:40
>>113
>原始宗教のようなシャーマニズム的なもの

もともと仏教にはシャーマニスティックな要素はないと思う。
あったとしても、それは後の他文化との習合によるもの(例
えば朝鮮半島の仏教とかね)。エクスタスというのは神秘主
義に必要不可欠なものなんだけど、この要素があるからとい
って、必ずしもシャーマニズムとは言えない。(ちなみに最
初期の仏教はそう言ったものに対して沈黙している)

>密教

密教はエクスタスによる絶対存在との合一という面で完全に
神秘主義。ところで、およそ密教と名のつくものに曼荼羅と
無縁なものはないと思う。


120 :goatsong:2001/03/13(火) 23:40
>>114
>フラクタルな構造

曼荼羅は視覚的にも、超視覚的にも完全にフラクタルだと思う。
これについては、ちょっと調べてから。カオスについては、仏
の姿がゴチャゴチャ描かれているからそういう風に見えるだけ
では?法曼荼羅なんか見たら、仏が梵字だからすっきりしてて、
その紛う方なき幾何学性が見えてくるんじゃない?日本人が理
解できなかったのは、この幾何学的世界構造である、とよく言
われることを思えば、カオスはむしろ垂迹曼荼羅だろう。

>インターネット世界にも似たようなものを感じるな。

インターネットってどんどん分枝していく、多様性の並存って
構造でしょ。誤解があるようだけど、曼荼羅はその逆で、統一
原理への志向なの。


121 :月読:2001/03/14(水) 00:31
>山羊歌さん
回答ありがとう。
大体納得しました。

ユングとヒッピーってつながりは初めての出会いだ。
(もちろん僕のアタマの中で。)
なるほろな〜。

>インターネットってどんどん分枝していく、多様性の並存って
>構造でしょ。誤解があるようだけど、曼荼羅はその逆で、統一
>原理への志向なの。

起点が自分のパソコンやら日本だからそういう風に考えるかも
だけど、もっとマクロに立って全体像を描き出したら
曼荼羅と呼べなくもないような気がします。

各サイトのコンテンツ=内的宇宙
世界のネット構造=外的宇宙

でも地球上に宇宙ができてしまってるのか。
インターネット宇宙か。

122 :お絵描き君:2001/03/14(水) 00:41
あれ?俺の言葉が悪かったんだなやっぱ。
自分でも何が問題になってるんだか良く分からなかったが
やっと分かった。
カオスは世界に掛かって、フラクタルを理や曼荼羅に掛けて
たんだがな。俺の国語力を許せ。

>インターネットってどんどん分枝していく、多様性の並存って
>構造でしょ。誤解があるようだけど、曼荼羅はその逆で、統一
>原理への志向なの。

なあるほど。逆ね。仏教は良く知らないからこの際色々
教えてくれ。

で、実存世界は広がる構造を取り、精神世界となる曼荼羅は
収斂する構造を取るという感じか?鏡構造になってるのか?
まぁ理=形而上的な領域としての視覚化は西洋モノより
東洋モノの方がしっくり来るな。

123 :goatsong:2001/03/16(金) 08:54
慶応大学、恐るべし。チェザーレ・リーパ「イコノロギア」全挿絵。
難を言えば、版が新しすぎるけど。

http://www.humi.keio.ac.jp/~matsuda/ripa/ripa_index.html


124 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/16(金) 09:39
>>123
1593年ローマ版だったら良かったんですけどね。
さすがにそれはタカ■ヤ先生も購入できないのかしら・・・。

125 :いるす:2001/03/17(土) 02:08
http://emblem.libraries.psu.edu/Ripa/Images/ripatoc.htm

ここにも"ICONOLOGIA"全ページスキャンしたのが英訳版だけどあった。
なんとなく新しい版のような気がするし、理由はわからないけれど>>123とは違う絵みたい。
版ごとに書き直してるのかな。


126 :goatsong:2001/03/17(土) 19:04
>>125

扉ページに、ローマ数字で"MDCCIX"とあるので、1709年の
印刷です。挿絵は I. Fullerなる画家による。刊行は>>123
後だけど、挿絵そのものは、数枚見た限りでは、様式と技術
水準から判断して、>>125の方が後だと思う。もっとも、>>123
の方は、明らかに制作年代の異なるものが紛れ込んでいる
から、全部見なければわからないけど。

「イコノロギア」は、年代、或いは地域(非イタリア諸国の翻訳
本)によって、挿絵が異なるという、とにかく非常に複雑な事
情があったりする。初版は>>124氏の言われる通り、1593年
だけど、これには挿絵が付いてなかったんじゃないかな?(間
違っていたら、すいません)。>>123>>125も銅版だけど、初
期のものは木版です。(>>123のサイトで"**"が付いてあるも
のは、1624/25年版の木版を見ることができる。造形的にも、
こちらの方が素晴らしいと思う)

曼荼羅については、ちょっと待って。


127 :いるす:2001/03/19(月) 02:11
詳しい説明ありがとうございます。
goatsongさんの仰るとおり>>125より>>123のほうが造形的に優れてますね。
人物の体の線や構図がよく、表情も豊かで、面白いと思う。

ex.[Italia&Roma]
>>123 (1624/25年版の木版) 画:C.M.del
http://www.humi.keio.ac.jp/~matsuda/ripa/catalogue/ripa_illus_html/043k0054w.html
>>125 (1709年英訳版の銅版) 画:I. Fuller
http://emblem.libraries.psu.edu/Ripa/Images/fig174.jpg


こちらは、イコノロギアの文章のみのもの。
版はよくわからなかった。
http://www.levity.com/alchemy/iconolog.html



128 :いるす:2001/03/19(月) 03:50
優れてますね。>素晴らしいと思います。


129 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/19(月) 09:49
IconologiaのCD−ROMも出てますね。しかも結構安価で。
http://www.studiolum.com/studiolum.htm

130 :goatsong:2001/03/20(火) 22:15
>>127

これは、何でしょうかね。専門用語が多すぎる・・・・・リーパ
自身の文章ではなくて、研究?

>>129

本をAmazonで調べたところ、英語のものは絶版でした。


131 :質問:2001/03/20(火) 23:58
すいません。それ何がすごいんですか?

132 :いるす:2001/03/21(水) 01:27
挿絵そのものが凄いというようなものではないと思う。
資料的価値のほうが大きいような。
単に言葉と絵のつながりを考えてみるだけでも面白いと思うけれど。

http://www.humi.mita.keio.ac.jp/japan/docs_j/report/annual/1998/3_2_2_text.html
>『イコノロギア』はエンブレム・ブックというよりは、むしろ
>エンブレムを解読するために使用可能なレファレンス・マニュ
>アルになっている。実際本書は、ヴィンツェンツォ・カルター
>リの『古代の神々の像』(Vincenzo Cartari

133 :131:2001/03/21(水) 02:15
>>132へありがとうあげ

134 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/04(金) 22:23
あげてみる。

135 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/16(土) 21:20
もっと語って。

136 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/11(土) 06:33
あげとく。

137 :ヤコブの梯子:01/09/30 20:47
>>38
>それ以前の日本の作品でも「○○が描かれていたら△△を表す」
>というものがあったとは聞いていましたが、

>>55
>ある意味日本の禅仏教の美術は、寓意画・図像学 ともとれなくもないですよね。

に関連して、工芸などで使われる「留守模様」は、アトリビュートと類似性をもっている
と考えてもいいのでしょうか。それとも、違う概念と考えるほうが、いいのでしょうか。
箒と巻物があれば「寒山拾得」といっても、人物ははえがかれてませんよね。

もうひとつ、須弥山儀のことなんですが、今まで単純に立体曼荼羅って考えてたの
ですが、宇宙観をあらわしてるには違いないので、それでいいのでしょうか。それとも、
垂迹曼荼羅ととらえるほうが、的確なのでしょうか。

「イコノロギア」は、アメリカのガーランド出版のバーゲンで、リプリントがでていた
のを、思わず買ってしまいましたが、眺めているだけでも楽しいです。

138 :わたしはダリ?名無しさん?:01/10/19 14:48
みんなすごい。。

139 :わたしはダリ?名無しさん?:01/11/13 00:42
初歩的な質問ですみませんが
1513年頃にヴィリバルト・ピルクハイマーがラテン語訳の
「Hieroglyphica」を作って,その際挿絵をデューラーに依頼したらしい
のですが,これって現存するんですか。
1505年のマヌティウス発行のギリシア語版や1515年トレバティウスの
ラテン語版,1517ファザニーニのラテン語版は知っているのですが。
それから,ありな書房から出ている,叢書エンブレマティカに対する
評価はいかがなモノでしょうか。アルチャーティのEmblematum libarは
購入したのですが,エピグラムが日本語訳だけで原文が省略されて
いるのが残念なのですが。

140 :139:01/11/18 01:01
自己レス
ヒエログリュフィカの件ですが,
R・ウィトカウアー『アレゴリーとシンボル』平凡社
に載っていました。

141 : :01/12/27 11:12
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

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142 :( ・∀・):01/12/27 11:31
あげんなよ。

143 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/29 17:28
美術研究板できたみたい
http://jbbs.shitaraba.com/study/65/bijutsukenkyu.html

144 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/23 00:29
ICONCLASS
ICONCLASS is a subject specific international classification system
for iconographic research and the documentation of images. It was
developed by Henri van de Waal (1910-1972), Professor of Art History
at the University of Leiden, and completed by his staff. ICONCLASS
is a collection of ready-made definitions of objects, persons, events
situations and abstract ideas that can be the subject of an image.
ICONCLASS organizes iconography into 10 'main divisions'
in which the definitions are ordered hierarchically.

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