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漫才って芸術?

1 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/19 18:06
なんでもピカソ、すぐ漫才やるけど、あれってゲージュツ?

2 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/19 18:13
国の考えとしてはそうらしい。芸術祭賞を横山やすし・西川きよしが受賞したこともあったし。
演芸の一分野ということなのでは。

3 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/20 00:35
非実用的な要素はなんだって芸術になり得る。

4 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/20 12:42
松本人志は芸術だな

5 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/20 13:27
芸能でしょ

6 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/20 13:38
たけしが「漫才はアートだ」と言ったから
やらざるをえない。

7 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/20 14:56

漫才も漫談も話芸だからな。
何でもある程度極めれば、それは芸術の域にあると言える。

8 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/20 15:01
>3
>非実用的な要素はなんだって芸術になり得る。
どう言うことか意味が良く分からんが、実用的な要素は芸術にはなり得ないのか?
芸術の多くは実用の延長線上にあるのではないのか?

9 :3:01/12/20 17:20
>>8
説明するのは苦手ですけど、、。
実用的なものを例に上げて言うと、
料理も爆弾もPCも芸術ではありません。
技術です。
いくら完成度が高かろうとそれは技術的な物で芸術とは無関係だと思います。
無論、芸術>技術という訳では無く、全く階層の違うもの、ということ。

>芸術の多くは実用の延長線上にあるのではないのか?

何故?説明してくれ。

10 :8ではないが:01/12/20 23:35
>>9

貴方の例え「料理、爆弾、PC」等、そんなものを例にあげるから話しがおかしくなる。
それじゃ、冷蔵庫は芸術か?洗濯機は芸術か?って話しになる。変でしょ?
比較する基準があまりにも適切じゃないよね。
例えば、陶芸・・・本来は実用品だが、その技等が極まれば芸術品と
一般的にいわれるのはなぜ?
他の工芸品も一緒ですよね。殆どのものが実用の為の物であるが、
素晴らしい出来、素晴らしい技術のものは芸術品とされる。
職人技でも、その技を極めたら芸術品とはならないのかな。
日本画のある歴史的な大家も、その写実的表現は、技術あってのたま物だが、
彼の芸術性に異論を唱える人はいない。

11 :3:01/12/21 00:51
>>10

芸術の重要な一要素として、いかに自由か、というのがあるでしょ?

陶芸とか工芸品って持つ人の手に合わせて造ったりするから、必然的に芸術性は低くなる、と思う。

12 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/21 03:27

漫才は漫才.アニメはアニメ、原爆は原爆だよ。

「○○は芸術か?」ってスレよくできるけどさ

13 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/21 11:25
>11
それじゃ、絵は芸術性が低いのか?
限られた紙面の上で描くということは、
ある意味、自由を剥奪されている。
俺は陶芸も絵も一緒だとおもうけどな・・・。
紙面が土に変わっただけ、絵の具が釉薬に変わっただけ。
しかし、陶芸は二次元的な絵とは違い、
立体という三次元的表現ができる。
そう言う意味では、絵よりも自由度は高い。
陶芸作品は、基本的には「用」の物だから、
手や使い勝手に合せる造り方をするが、
高度に芸術性を有する物は、「用」をある程度無視した
造りがされている。
例え「用」にそった造りであっても、
その制約された条件の中で、いかに作家が感性を働かせて
他と異なった発想で物を作り出すか、そこにも芸術性を
見い出すことが出来るとおもうが。

14 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/21 11:31
言ったもん勝ち!
2ちゃんは芸術!

15 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/21 16:55
吉野家も芸術!

16 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/21 17:25
漫才が芸術なわけないでしょ!
大衆演芸ですよ。
ゲージュツなんて言われたら、漫才も落語みたいにおしまい。

17 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/21 17:35
大衆演芸も芸術!

18 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/21 19:06
何かの媒体を通して、表現することが芸術。

19 :3:01/12/22 10:32
>>13

破っても絵は絵画と認識されるけど、(言う迄もなく実際そういう絵画がある)
底を抜いた陶芸は陶芸として認識されないで彫刻(非実用)として認識されるんじゃないかな。

レディ・メイドやウォーホルのダンボールみたいな奴も彫刻として認識されてる。
陶芸もひっくり返せば芸術かも知れないけど、それはもはや陶芸では無い。

やっぱし実用的な物は芸術から遠ざかるんじゃ無いかな、そもそも芸術を愛する精神って、無意味な物を愛する精神だと思われる。
陶芸が素晴しい、という人達だって、例えば茶を飲むという機能を愛してる訳じゃなくて、
もっと無意味な所、見てくれに魅了されてるのでしょう?
でも陶芸って本来はそういう機能的な物である訳で、
無意味な要素が全てである、という絵画に比較すると、その芸術性は一段劣るように思われる。

んで、陶芸とかって良く知らないのだけど、用をある程度無視した造り、ってどの程度なんですか?

20 :陶芸家:01/12/23 18:26
>>19
陶芸の知識なさすぎ。
陶芸をもっと勉強してから意見を言ってくれ。
それから芸術全般の知識も勉強しなおせ。
俺は院生時代に陶芸の芸術性に目覚め、芸大を辞めたが
池田満寿夫が80年代に陶芸に目覚めた理由がよく理解できる。
まずは、実際に作陶してみることだな。

21 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/23 22:04
てか、3は電波だと思う。

22 :3:01/12/24 00:28
>>21

マジで?
ショック!!

23 :3ではないが...:01/12/24 18:29
>>20
知識が無いとかもっと勉強しろとか
自分はとても高い学歴があるとか、言うんやなくて、
説明がほしい。それも簡潔に。

3の論理に無理があるなら、あなたなりに説明してください。
私も陶芸を知らないし、芸術全般を判ったような気になりたくないから
(決して皮肉じゃないよ)知りたい。

芸術板とかは時々、「君の勉強不足」っていうレスで片づけてしまうけど
それは反論になって無いと思う。

>>21
こんなレスは一番、頭悪い。

24 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/24 19:22
>>23
すまんけど、3のことを電波だと思わないなら
あなたも電波か、美に対する才能をもってないかのどっちか
説明してもあなたには理解できないよ

25 :3:01/12/25 00:00
20とか24みたいなのは本当に反論のしようが無いんだよね。

こういうのは外野扱いで。

26 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/25 00:49
>>25
3さん
あなたは悪い人ではなさそうなので
一応言っておきます
実質、あなたの意見は反論の対象にさえならないのです(煽りじゃないですよ)
>>20さんの言う通り、実際の体験に基づいてない変な理屈にとらわれてしまう前に
もっといろいろとみてみたほうがいいです

27 :23:01/12/25 03:50
>>11の意見に賛成する者のです。
それに対して>>3氏のレスである次の
 >無意味な要素が全てである、という絵画に比較すると、
 >その芸術性は一段劣るように思われる。
という所の反論を聞かせてほしいのです。
反論の対象にならないのであれば、違う問いをします。
>>20さん、院生時代に目覚めた陶芸の芸術性とは具体的に
どんな事だったのでしょうか?

>>26
実際の体験に基づいてない変な理屈 ←私のような愚鈍な者には(電波でもいいですけど)
実際の体験はなかなかできません。

どうかご教授下さい。

28 :ぼくが思うにですね・・・:01/12/25 08:42
芸術にしろ、漫才にしろ、陶芸にしろ、あるルールーの枠内で一番を獲得するための「ゲーム」と考えるとしましょう。
で、それぞれ違うゲームを比較して、その優劣を決めることは、本来的にナンセンスだと思うのです。

そこで注目したいのが、芸術(現代芸術)というゲームの中に、「ルールを変更し続けること」というルールが織り込まれている点です。

つまり芸術は、絵でなくても、彫刻でなくても良いし、漫才であっても、陶芸であっても良いわけです。
あまつさえデュシャンが示したように芸術でなくても、芸術たりうることができるのです。
(そのおかげで「じゃあ何が芸術なの?」と言うことが分からなくなって、すっかり昔の勢いが無くなってしまった様に思えますが・・・)

陶芸は、陶芸という枠を外れてしまっては、陶芸とは言えません。
でも、陶芸だって過去の陶芸を超えなければ、作る方も面白くありません。
それで、陶芸という枠内で、いかにして新しい陶芸を作り出すか、というゲームをするのです。
これは前期の通り、芸術とどっちがエライかを比べられるようなものではないと思うのです。

芸術として作られた陶芸は、芸術的な価値があったとしても、陶芸的価値はないかも知れません。
また、芸術的な陶芸(この場合は、慣用的な例えとして解釈します)に、本当の意味での芸術的価値は無いかも知れません。

29 :23:01/12/25 13:27
>>27
誤=>>11の意見に賛成する者のです。
正=>>11に対する>>13の意見に賛成する者です。  でした。すいません。

>>28 なるほど。
じゃあ>>20の陶芸家さんはナンセンスを知りながら、ナンセンスな反論をしたと
言うことですか。
じゃあそもそも、漫才が芸術であるかどうかこの板に立てること自体がナンセンスか。
納得出来たかも....

30 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/27 01:15
狭義の芸術とは、直接的表現ではなく、何かの媒体を通して
何かを表現することであり、その素材や媒体が何であっても良い。

31 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/27 01:24
3のような、絵画だの陶芸だの、どっちが芸術性が高いかなど論じる事自体、無意味。
制限された範囲内でより素晴らしい表現をすることの方が難しく、
その枠内で表現力が高まれば高まるほど芸術性は高くなる。
陶芸などの自由度のないものは芸術性に劣るというのは間違いであり、
芸術性の低い陶芸作品は、単に作家に能力がないだけである。
そう言う陶芸作品を作る作家は「芸術家」とはいわず「陶工」あるいは「職人」と言う。

32 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/27 01:25
しかしそれら全てに藝術性が宿っているというかというと微妙なところではある。

33 :わたしはダリ?名無しさん?:01/12/27 03:54
>>31
>絵画だの陶芸だの、どっちが芸術性が高いかなど論じる事自体、無意味。
と、言っておきながら、
>制限された範囲内でより素晴らしい表現をすることの方が難しく、
なんて、「方が」とか言ってるあたり矛盾してるね。
>>28では本来的な意味での「芸術」と、慣用的例えとしての「芸術的」
という言い回しを、別物として論じているようなので、その辺を考えてみては?
>>30
>狭義の芸術とは、直接的表現ではなく、
「直接的」って?
何をどう表現するにしたって、「媒体」は必要だと思うけど?

(すいません、口が悪くて・・・でも悪気はないです。)

34 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/16 01:23
ロッパと マルクス兄弟

35 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/16 01:40
神経質なことを言うと、
1のタイトルの設問がそもそも無理があるのですよね。
漫才の中にも芸術な物もあるし、そうでない物もある。
絵画の中にも、陶芸の中にも、、、、

ただ話芸の術なんだから漫才は立派な芸術でしょう。
最近なんでもピカソ見てないなぁ。
あの番組のセンスってちょっと古臭く感じてきませんか?

芸術か否かも主観の問題だけどね、、、、

36 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/21 00:51
ハーポはしゃべらないから芸術

37 :わたしはダリ?名無しさん?:02/04/09 23:59
萌え〜


38 :わたしはダリ?名無しさん?:02/04/09 23:59
あがってる

39 :わたしはダリ?名無しさん?:02/04/10 02:56
「芸術性の強いもの」の方が「価値が高い」わけじゃないだろう?
陶芸が絵画よりも価値が低いわけじゃない。
一般的に絵画の方が純芸術的と言えるってことなんじゃない?
陶芸の場合は実用性と芸術性を併せ持つものだが絵画は実用性は稀薄。
芸術性の方により偏ってる。
もちろん個々の作品の芸術的価値の高さは陶芸だろうが絵画だろうが作品によって違う。
ルノワールの作品より芸術的に優れた陶磁器は沢山あるでしょう。
要は単に絵画とか陶芸の一般的な性質の問題で上下の問題じゃないでしょ。

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